彷徨うキムンカムイ

家の鍵失くしちゃった

失踪企図の原因—子殺しの事実、生まれるとは何か

かなり前に終わったことだし、大きな揉め事もないので、出来事の概要だけ記す。

不貞行為があり、相手は妊娠していた。妊婦を除く全員が「損害賠償と堕胎で手を打つべし」と判断したが、私はいずれも望まなかった。無事産まれたら普通養子縁組し、監護親になると考えた。妊婦とは二度面談し、子供の将来について提案した。

 

結局、子どもは亡くなった。交渉を勝手にまとめた人は「産まれてきたらあかん子なんよ、あんたも大変な育ちなんやから分かるでしょ」と言った。間を置いて、場にいた人全員の顔がみるみる青ざめていった。あの言葉が今も繰り返し夢に出る。

 

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確かに、私が産まれたのは間違いだったと思う。

私のいた一時保護所と児童養護施設の窓には鉄格子が嵌っていた。遺伝性かつ先天性とされる障がいの診断もある。世帯収入はゼロ、監護親には他害性が目立つ重度の精神疾患があり、別居親側は"全国規模の家庭チェーン"を展開していた。そんな状況で生まれるべきではなかった、不幸だったと認めても良い―この「私」自身に限っては。

 

子供は作らない約束をしていたので、あの時までは「私ではない幼い誰か」の生死が自分たちの手に委ねられるとは思わなかった。人は産まれるべきでない―そう豪語する私が、初めて真剣に生命というものを考えた。真剣と言っても、答えが出るまで時間はかからなかった。

人が自己認識を持って産まれ落ちるとは、どういうことか。カント哲学からポストモダニズムまでの体系に頼らずに、初めて自分で結論が出せた。よくある宗教的・政治的な解釈に走る前に続けて読み進めてほしいのだが、以降の解釈を以て、自分が当事者である限りにおいて中絶反対派だと自覚した。

 

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生存権とは、究極的には「認識を有する生き物が、自ら選択できること」である。その選択によって生に幸不幸が生ずる。そして、人間が幸福か不幸か、個人に紐づけられた事象が望まれているか否かは、見方によって変わる。

 

人生を選択の連続によって延長され続ける「線」として見ると、私のように飛び抜けて不幸と解せるケースは多々ある。選択の幅及び傾向は、社会情勢、地域文化、家族の性格及び社会的状況に強い影響を受け、ひとつの時代や地域のなかで低い水準を彷徨う生が多数出現する場合が有り得る。

一方で、ある一個の選択によって生じる結果である「点」で見るとどうか。それは全く主観的に判断してよい。そして、人の生理的欲求と合理的判断によって、或いは近代以降すべての人が有するとされる(そして国家が保障する)権利によって、それぞれある程度は幸福と呼べるものになると思う。

 

自分自身を振り返ってみる。

  • 19歳のあの日、退院した時にひとりで食べにいったカニクリームパスタ。服薬(というよりも服毒)自殺に失敗した影響で完食できなかったが、涙が出るほど美味しかった。
  • 住み込みで働いて得た収入で勇気を出して予約した、リッツ・カールトンのスイーツバイキング。生まれて初めて食べたメロンは今も大好物である。
  • 初めての一人暮らし、こじんまりとした部屋に机と椅子と書棚があり、薄っぺらいが私専用の一揃いの布団がある。夢のような生活が始まるのだと確信した。
  • 司法試験・予備試験の合格祝いを兼ねて行った、東京は恵比寿にあるお城のようなレストラン。収入の範囲で行き、寛大にもてなされ、生きて与信さえあればいつでも再訪できると自信をつけた。
  • 貸し切り温泉に入って「もし毎回こんな風に湯治できるなら、背中にでっかくネクロノミコンの装丁の柄を入れてもいいな」とほくそ笑んだ。
  • 成人してようやく行くことが叶った海。想像より波が大きくて近寄れなかったが、眺めているうちに気が大きくなってきて、靴下だけになって波打ち際を歩いた。

 

人が産まれず胎内で中絶されることの本質は、選択する機会を永久に失わせることだ。外的要因と選択の連続による不幸は完全に除去できるが、同時に、個別の選択により高確率で無数に発生するであろう「幸福な瞬間」の一切を取り上げることになる。果たしてそれでいいのだろうか。

 

食べて寝て遊んだあの瞬間、私はもうそれでよいと思った。十分な価値を認める。他人から機会を取り上げるのは気が咎める。30歳を超え、選択の機会と共に到来が期待される幸福の瞬間の数が減った私は、彼もしくは彼女の身代わりであっても良い。将来、その人が仮に「豪奢な温泉旅行に行くため失踪を毒殺して財産を奪う」と決めたとしても、私は合理性を認めてしまうと思う。

妊娠継続の可否が私の意思に委ねられている状況下に限定するが「人が選択する権利、選択の機会」を奪うことが正しいとは、到底思えない。

 

私には出来ない。それは殺人だ。

 

***

 

いずれにせよ、子殺しを止められなかった。その罪悪感で潰れそうだった。皆が安堵している理由も分からなかった。あの些細な一言で自分の人生を丸ごと否定されてしまったかのように思えた。これら全ての感情が”ズレている”のに気づいていたから、私は沈黙することにした。

 

私は一度ならず二度目も子どもを殺した。後者はまだ心の整理ができていない。

客観的には、十分な対策を講じた上での極低確率での不運としか言えず、私自身もそう思っている。不運と認識していること自体が悔やまれ、悲しく、自分を憎悪せざるを得ない。詳しいことは今度書く。