彷徨うキムンカムイ

家の鍵失くしちゃった

失踪企図の原因—友人の死と、冒涜

時期は明言しないが、私の友人らが犯罪の当事者となった。1人は被害者で現場で死亡しており、もう1人は被疑者として逮捕された。

その頃、ある共通点に基づいて形成されたコミュニティがあり、私と2人は当該コミュニティ内で時たま会うと親しく話す仲だった。時の私の配偶者もいて、家族ぐるみの関係だった。私たちは価値観や生い立ちに似たところがあり、話す頻度は低くても、親しみを覚えていた。特に被害者の人望は篤かった。

 

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異変が起きたのは、コミュニティ内部の人たちが、同時期に、それも全員一斉に、ネットの投稿削除や非公開化をしたことからだった。当事者の勤務先も広報用のページやブログを非公開とした。

事件の第一報は、コミュニティ内部にいた被害者の勤務先関係者による限定公開の投稿だった。それは単に被害者の死を知らせるものだった。私は衝撃を受けたが、本当に言葉を失ったのは、いつも通りSNSを開いておすすめをスクロールした時だった。

 

毎日見ていれば時折流れてくる、全国のどこかで起きた殺人事件の記事。場所、当事者の本名、現場の状況、全て報道されていた。すぐに私の友達のことだと分かった。

記事は色んなメディアに転載されていた。多くは不特定多数がコメントできる設定で、当事者の関係を憶測で書いて煽るようなタイトルまで付けられているものもあった。私は心が弱かった。コメントを見てしまった。

憶測を間に受けて馬鹿にするコメント。同じく憶測で被害者の非を責め立て、職場その他を特定しろと何度も何度も煽るコメント。ネットによくある反動的な思想をここぞとばかりに披瀝し、ありもしない当事者らの関係で言説を強化する、衒学的なコメント。特に被害者に対するネットリンチは凄まじく、思わず安定剤を通常の倍量くらい服用してしまった。

私はコミュニティの人たちがとった行動の意味を知り、あらゆる報道アカウント(特に個人が運営するもの)を全てブロックした。時の配偶者には被害者の死だけを淡々と伝えて、多分病死だと言っておいた。

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だが、コミュニティの外縁にいる人たちによる、新しい試練が始まった。彼彼女は事件当事者のことをよく知らないし、何ならコミュニティへの貢献もそんなにない。彼彼女は、コミュニティの集いがあると、興味津々と言った様子で事件を語り、例のニュースに書かれた内容を引用してきて、詳細を尋ねてくる。知ったかぶりで事件前の状況を虚言する人もあった。当事者の勤務先のインビテーションリスクについて偉そうに語ることもあった。普段は優秀で社会的地位もある人たちだが、私にとっては「ブロックしたアカウントで見た不特定多数の"普通の人々"」とオフ会してる感覚だった。

 

私と同じ感想を抱いた人は大勢いたのだろうと思う。ひとり、またひとりとコミュニティから遠のくようになった。コミュニティ内部にいた当事者の職場関係者は全員退職し、それぞれ環境を変えて生きている。

かくして死せる友人の名誉は永久に毀損され、私の所属したコミュニティは完全に崩壊した。社会正義とされる報道の自由と、どこか遠い場所の出来事を見て手慰みに「個人の感想」を述べる善良な人々によって。

もうひとりの友人についても、複雑な気持ちを抱えている。詳細は語らないけど、傍聴に行くと、崩壊したコミュニティで見た顔があった。失踪企図より少し前のことである。


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被疑者となった友人には然るべき審理と処分がある。でも、コミュニティと関係者の職場環境及び営業に不可逆的な変化が起きたあの事象はどうなる?

19世紀のドイツの公法学者であるゲオルグ・イェリネックは「法は道徳の最小限」との言葉を残した。世界は不条理に満ちているが、そのほとんどは法的な"悪人"の関与がなければ、行為が明文化された構成要件を満たすこともない。無数に発生する悲劇のごく一部の、最低最悪かつ責任の所在と損害の評価が明らかなものだけが、私たちの社会の天秤に乗ることを許される。

 

結論、あの事象は、誰にも裁けず、裁くべきものでもない。様態から私刑というラディカルな方法すら取れない。

法律なんて何にも役に立たない。変更すれば良いわけではなく、法の性質・目的そのものが「不条理や不道徳の抑止」ではないのだ。

 

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信頼する(それも私の専門分野と無関係の)他人の意見をただ聞こうとその体験を語りかけた時、その人は「本当の話なの?」とニヤつきながら言った。私は失望し、口をつぐむようになった。本当は、私が信じ、ついに裏切られるに至った正義(クサい表現だがこれ以外の適切な語彙を持っていない)について語りたかった。

 

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きょう、まとめサイト法益を犯す事件のニュースを見て「面白い」ツイートをしている人へ。

その書き込みを見て特定を恐れ、営業できなくなったお店があります。大切な人の名誉のためにと思うように弔うことが叶わなかったせいで、喪失のショックが重症化する人がいます。

人には色んな一面があります。被害者もまた加害者であるかもしれない、それは事実かもしれない。でも、あなたに真実を知る術はない。そして、真実を知ったところであなたの何の役に立つのか。だからそっとしておいてください。

 

 

とにかく、以上が失踪企図の遠因である、深く強い絶望の一つである。