彷徨うキムンカムイ

家の鍵失くしちゃった

失踪日記:71日目までの総括

予定の4分の3を終えようとする今、仕事の合間にポチポチ書くこと10日。ようやく失踪の途中経過をブログで公開できる。 今のところ、100日で終わらせようとは思っていない。このまま第二の人生を行けるところまで突っ走ってもいいんじゃないかな、と考えている。お世話になっている人に本当のことは打ち明けなければならないが。

所持金5万円から始まったこの生活は、今日の時点で個人で30万円、会社の資産として債権含め160万ほどある。人件費などを払ったらまたスッテンテンになるが、良くやったと自分で思う。
前置きはここまで。以降、周辺の人にこのブログを見られても気付かれないようにぼかしながら、今までの生活を時系列で書いていく。

ホームレス、運輸会社でアルバイト

最初の1週間は所謂ホームレスから始まった。生存に必要な最低限のものとkindle、資格証(※そういえばこれは持ち出し物への記載がなかった)を所持し、漫画喫茶で泊まる。

参考: hal-2045.hateblo.jp
日銭の稼ぎ方は既に決まっていた……ある大手運輸会社での軽作業だ。失踪直前に行った自刃未遂の影響で左足の神経麻痺があったため、小さい荷物を扱う業務(座ったままできるもの)のみ携わりたいと希望した。要望を飲んでもらえる期待は全くなかったが、10代の頃に作業者として何度もお世話になったと話したからか、ほとんど間を置かずに快諾。

決まった最初の勤務の近くには、安いファーストフードチェーンや漫画喫茶、銭湯もあった。 かくして15年ぶり?の一時ネカフェ難民に。漫画喫茶の個室の床は、重傷を負って間もない足に堪えた。失踪企図初日から1週間目までのことである。

仕事と住居確保のための布石を打つ

漫画喫茶のパソコンから、あらかじめ複数登録していたクラウドソーシングサイト等を通じ、個人事務所に営業を行う。失踪前から事務代行業務を個人及び法人で受託しており、Googleアカウント内に築いた知的財産の一部があった。漫喫での作業はセキュリティ上本来あるべきではないため、取引先の機密情報を扱うことのないサービスで営業活動し、アポを取る。

今後の住居確保についても、失踪企図前にアタリをつけていた。大体の候補地を決め、空き家バンクや登記簿の確認などを行っていたのだった。暗記してきた内容をメモに取る。

エリートは遍在する

最初の職場の同僚は、大半が外国からやってきた人であった。正社員は日本国籍を有する人、派遣・日々雇用は9割がた外国籍の人(主に東南アジア諸国からいらした方)、といった感じである。
外国の方は色々だった。日本語も英語もほとんど出来ない人、簡単な日本語が分かる人、流暢に日本語を操る人。2日目だったか、食事を摂っていると英語で会話しているのが聞こえたので、その方向の4人組の席に行った。3人は女性、1人は男性だった。

うち女性1人(以降Xさんとする)は、カタコトのジャパングリッシュで話しかけた私に対し、日本語で答えてくれた。聞けば学生らしい。あんなに長時間就労して大丈夫なのかはともかく、何か気が合うところがあったので、連絡先を交換。勤務先の正社員の方と公式に交際・同棲中と語るこの人が、私の最初の支援者となった。
Xさんに対しては「何だかわからないけど語学力すごい人だな」と呑気に構えていたが、聞けば世界的に権威のある大学に通っていたそうだ。改めて勉強するために来日したが、何やかんやで今に至る、とのこと。エリートはどこにでもいて、不遇である。

寝床を確保する

Xさんとは退勤後に話が盛り上がった。ネカフェ難民であることをこぼした私に、Xさんから「家にしばらく来ていい」とのお声がけがある。行くにしても問題があった……事業や学業に使うための端末(つまりパソコン)がなく、設備のある場所を離れるわけには行かない。だが足の具合は非常に悪く、落ち着いて眠れる場所の確保は喫緊の課題だった。お言葉に甘えさせてもらう。

そしてセカンドライフの地へ

Xさんは何日でも居ていいと言ったが、休ませてもらったのは2日程度だった。長居して同棲生活を乱すわけには行かない。とにかく何とかしなければと思い、狙いを定めた地域の不動産業者及びオーナーさんで計2件のアポイントメントを得る。所持金はまだ10万円に到達していなかったが、現地に向かってそれぞれとお話することになった。

不動産屋さんは某大手のパートナー店ということもあり、あまり期待せず、地域の事情をヒアリングする意図しかなかった(大変失礼な話である)。本命は現在の住まいのオーナーさんである。初期費用として所持金の大半をその場で納めること、有資格者として適切な契約を結んだ上で不動産活用に関する一定の貢献をすること、これらが切り札だった。

オーナーさん(以下、Yさん)は大変穏やかな方だった。
いくら焦っていると言っても、賃貸物件の入り方にはルールがある。それを逸脱している私は「面倒な入居希望者だ」と怒られるのを覚悟していたが、思いがけず丁寧に接していただいた。残置物が極めて多いが現状のままで良いならという条件で、現地も見せてもらい、日を改めて入居と相成った。その場でXさんに電話をして、喜びと感謝を伝える。失踪企図開始から9日目の出来事だった。

翌日いったん失踪の出発地に戻り、ノートパソコンを購入。「300万円くらいなら現金ニコニコ払い」なんて言って憚らなかった私が、たった30万円弱でローンを組む。少額のローンなら即時で審査できるんやな〜とぼんやり考えていた。別にどうってことはない。もう何が起きても驚かない。

新居での生活

入居して最初にやることは、住民票の転入と、残置されている家電製品の動作確認だった。畳も慎重に調べ、ダニやトコジラミがいないことを確認した。
……今思えば、こんな態度は失礼である。人格者Yさんに近しいご親族の終の住まいだったためか、洗濯機も水抜きした上で保管されるなど手入れが行き届いており、イメージしていた空き家とは全く異なった。とりあえず、その場にあったものや失踪開始地点から持ってきたもので掃除をし、使い古しの寝具で身体を休めた。

朝起きると、目覚まし代わりに家の内部を見て回った。要修繕箇所と思われる箇所の写真をとり、メモを付し、自分で施工出来そうなところにはさらに注釈を加えた。余談だが、室内を右往左往するうちにムカデと出くわしてパニックになった日がある。

住宅初期費用の支出のため所持金は5万円を一時下回ることになったが、Xさんにお礼のメッセージとギフトを送る。送ったものが先方に到着するなりLINEビデオ通話を掛けてきて下さったのが嬉しかった。
その後、Xさんには「紹介したい友達がいる」と仰ってもらう。これにあたって会食を……となったところで、ご親族が流行病に罹って重症化した経験を語り、初対面の人を交えての会食は良くないかもしれない、と心配なさった。心配性だなと思ったが、振り返ってみると、杖をついて歩行する私を気にかけてくれたのかもしれない。特に女性は我が国と気質が似るお国柄である……そういう気遣いがあっても不思議がない。

肉体労働&トリプル資格でこき使われる

Yさんは周辺に顔が利く方だった。とりあえず就労先まで紹介してもらうことになる。足の具合は我慢すれば耐えられるような気がしたし、肉体労働を了承する。 Yさんから就労先へと紹介される際、私が有する斜陽分野の3つの資格と具体的なキャリアについて、仔細に伝わったようだった。就労先に出向くと、色々と食いつかれた。

地域は山海に挟まれており、車さえあれば有名観光地にすぐアクセスできる。この「車さえあれば」というのが難しい。何とも惜しい位置関係で、インバウンドなりアフターコロナの国内観光需要なりの恩恵を十分に得られずにいる。 地域で何らかの権利や事業を有する人は、みな不安を抱えていた。その上で、対策にあたる専門家には「何のしがらみもない」ことが求められているようだった。地元の事情はちょっとセンシティブなので省略する。

とにかく、クラウドソーシングで蒔いた種が実って事務代行業務を請け負う中で、肉体労働のみと約束した就労先でも色々な相談を受けた。私は言わざるを得なかった。あるラインを超えて相談に乗るとなると、どうしてもお金をいただくことになってしまう。 言うにしたって価格設定はどないしよかな、と悩んでいると、Zさん側から「うーん、以降はお金払うよ~」と発せられる。これは完敗、一枚上手だ。こき使ってやるぜ宣言でもある。以降、居留地での就労先・Zさん一家にはお世話になる。

目的の発見

失踪中盤まで、びっこ引きの34歳にはちょっと厳しいだろうと自分で思うくらい働いた。やったことを思いつくままに挙げていく。

  • できる範囲での家の修繕。
  • 地元の設備屋さん、内装業者さんとの相談。
  • 取引先3社の事務代行、その他。
  • Zさん等から頼まれるままに、提案書その他の頼まれた書面の作成。
  • Xさん・Yさんのご友人らとのビデオ通話。
  • 時折失踪企図地点に舞い戻り、知り合った人との会食や洋服などの調達を行う。
  • きのこ狩り(私が突然言い出した)

いつの間にか所持金は数十万円を超えていた。作業の仕組み化でかなり余裕ができるなどして、くだらないツイートも増えた。 私の仕事用の連絡先(この地ではプライベートの連絡先を兼ねている体になっている)は、教える人に対して「私に特に断わりなく知人友人にお伝え下さっても構いません」と言ってある。何だか知らない人から連絡が来ることもある。
大半はLINEトークかビデオ通話、そんな感じの日もある。そうこうするうちに、目的というか、解決したい課題が見つかった。

詳細は語らないが、いま3つの事業を同時に走らせようとしている。クライアントの同伴者として上京する機会があった時、商工会議所に個人事業者として登録し、最近やっと合同会社を立ち上げるに至った。

ビジネスパートナーに恵まれる

失踪3分の2を終えた現在、2人の協業者と、お取引を継続しながら支援して下さるクライアントに囲まれている。私の分析や考察に対して歯に衣着せぬ調子で突っ込んでくださる方もいる。特に後者は有難い。
段々と手が回らなくなってきたのと、新しい知見を必要としている兼ね合いで、人をもう少し巻き込まねばならない。

”あの出来事”の直視

私が精神のみならず身体を傷つけるに至った出来事の記憶は、自分を忙殺し、適用対象となる前のPTSD治療薬を処方してもらうことで、なんとか対処できている。今は忘れることが大切かもしれないが、今後のために自分の非を整理し、直視しておきたいとも思う。

失踪企図は幾人かに知られている。全員、心底信頼できるし、今もよく話す人だ。
仮にそうであったとしても、ある一点だけは話せない。正確には「文字で伝えることは出来るが声には出せない」。痛む箇所は、左足や心、他に自分で傷つけた腹部の筋肉のみならず、承認されたばかりの薬で掻き回した下腹部の臓器にも及んでおり、精神科とは別口で通院せざるを得ない状況に陥っている……ということだ。

言葉に出して訴えられない問題は、カウンセラーと医師に筆談で打ち明けている。たぶん心的外傷の影響やろなあと明言されている。原因が分かるだけでもマシだ。



今の生活は楽しい。同時に、不可逆的な変化があったというか、かつての自分が何処にもいなくなってしまったと感じている。
根暗な印象かつ女性っぽさのない見た目のせいで勘違いされやすかったが(※私は好きなモード系メンズブランドを着ていただけのつもりである)、過去の私は、地頭が良くないためか、常にヘラヘラしていられる楽観的な性格だった。他者に対しては、意思疎通が可能である限り「来る者拒まず」の姿勢を保っていた。交流する以上は相手の世界観を客観的に理解し、受容しなければならないとも思っていた。

今は違う。

理解しようとする姿勢。学問や研究に対するそれに変化はなく、むしろ、のめり込むようになった。変わったのは人に対する理解の姿勢だ。嫌な予感がする時は一方的に拒んで無視し、恐れを露わにしても構わない、そう思うようになった。端的に言えば、心まで陰険な根暗になってしまったのだ。

別に今に始まった事ではない。もともと生まれや育ちの影響はあったし、商人の街の風土病である諦念の一種も備わっていた。変わったのは、他者を信頼し、その信頼の全てを完全に失ったことだ。

嫌な話をする。実際に危害を加えることは当然ないし、考えるだけなら自由だろうと思うが、不快だと感ぜられたのなら許してほしい。
……あの人が最後に何を言ったか伝聞で知っている。毎日「自分の知らないところで、方法も何でもいいしどうでもいいから、とにかくこの世から消えてほしい」と願っている。